家田荘子 〜極道の妻たち.com〜
 
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2泊3日つなぎ歩き遍路ショート日記

 

2泊3日つなぎ歩き遍路ショート日記

<<1巡目


家田荘子のホームページ
撮影 國貞誠
29番札所 国分寺

 

就業者でもできる2泊3日歩きつなぎ遍路
<2巡目>

1巡目はとにかく歩くことに必死でした。だから、2巡目は、もう少しゆっくり行こう・・・と思い、「自分の行」のために巡ることにしたのですが・・・!!!

 

←6回目までは
2巡目 7回目 08'7月16日〜18日

2008年7月16日(水)

3日間すごい晴天!と、1日前まで、予報で出てたのに、松山へ向かう「しおかぜ」の中で、iチャンネルを見たら、17日・18日と雨!台風が近づいて来ていたのです。
前回、宇和島駅から乗ったタクシーで、ものすごくイヤな思いをしたのですが、今回、会社を替え、丸の内タクシーさんにしたら、気分良く乗せてもらえました。
柏の「DE・あい・21」まで戻り、歩き始めます。気温は32℃晴天。10分で汗が噴き出して来ました。

DE・あい・21愛南町柏のDE・あい・21からスタートです。
7月13日に石鎚山に登頂し、頂上社で、白着にご朱印を、いただいた上に、祝詞をあげていただきました。道中の安全を願い、とても心強いです。
915メートルの内海トンネル。前のデータを見ると「気が遠くなる」とありました。??たしかに、歩道が小さいけれど・・・と思っていたら、隣に歩行者用「内海ふれあいトンネル」がありました。でも、幅4メートル、誰一人いない、白いトンネルはたしかに気が遠くなりかけ、石鎚山のご真言をあげたり、メモを取ったりして、気を紛らわしました。
大浜の海内海トンネルをすぎて、すばらしい大浜の海

その後、鳥越隧道、大場の鼻トンネル、嵐坂トンネルと続きます。嵐坂トンネル(371M)も、隣に歩行者用「風の通り道」がありました。ライトの消えている所があり、途中、暗く淋しかったです。でも出ると、なごみのポケットパーク「風園(ふうえん)」があります。ボランティアの方々がトイレをお掃除して下さってます。トイレに向かい、心から頭を下げてきました。ありがとうございます。四国では、公衆トイレに多くの方々の遍路に対する善意が込められているのです。

三好旅館
<三好旅館>
三好旅館のおかみさんと。やさしさあふれる旅館です。

ここから津島までの4キロが、いつも長い・・・。特に真冬と真夏は、冷たさ、暑さが身にしみます。津島で、三好旅館のおかみさんに会いに行きました。前に泊まった時、本当によくしていただきました。歩き遍路の気持ちをとても解って下さる優しいおかみさんです。おすすめの宿です。
でも、その後、1710Mの松尾トンネルが待っています。私は、いつもトンネルを通ります。毎回、通過に17、8分。20分もかかりません。景色を見られないので、黙々と歩いていると、「あっ!」という間です。左側の歩道が大きいので、必ず左側を歩いて下さい。このトンネルは、けっして悪くないと思います。今回は、宇和島駅のホテルクレメント徳島へ。お肉料理ばかりで、行のために10年間肉断ちしている私は、お魚料理にありつけず、ガックリ。。仕方なく、じゃこ天定食を。

57号線57号線。延々と山の中です。鳥越の集落にて。
 
7月17日(木)

41番延光寺
後方に見える鳥居が41番延光寺です。

朝5:01に、ホテルを出たら、もう雨がパラパラ・・・。午前11時頃から降るはずでは!?でも、すぐ止んでくれました。暑さに強い私でも、15分後に汗が噴き出していました。56号線をずっと行きます。中畑休憩所をすぎると、吸殻拾いをしてくださっている町の女性に出逢いました。吸殻は、拾う人は、捨てないんですよね。捨てる人は、拾わない・・・。タバコだってゴミなのに。。。
三間(みま)町に入ってからずっと登り坂。50Hから、160Hまで一気に登ります。そうしてやっと7時3分前に41番龍光(りゅうこう)につきました。正面が稲荷神社でその下、左に本堂、右に大師堂があります。納経所では、ツアー会社の男性2人が沢山のお客さんの納経帳を持って、詰めていました。早くも順番待ち。大師堂の美しい孔雀明王様は、必見です!
へんろ表示に従ったら、お墓の中を通り、山越えされられると判り、早々に山を下り、41番に戻りました。再出発し、別のへんろ表示に従ったら、今度は、山の中にまた入り、ジメジメした気味悪い利近池の廻りをグルッと廻らされ、さらに、池を出ると、道と道との間に、へんろ標識があり、どっちの道を行けばいいか判らず、距離は長くなるし、さんざんな目に会いました。車の通る一般道を行く方が、ずっといいです。

42番佛木寺42番佛木寺で。
お寺につくと、ビーサンに履き替えます。足の休養になります。
42番佛木(ぶつもく)へは、8時12分に。
古い古い本堂と大師堂です。納経所にいらした僧侶が「最福寺で修行していました」と教えて下さいました。私の師匠、池口恵観大僧正のお寺です。毎日、3メールの炎の前で、火傷をしながら護摩行をされてたとは・・・頭が下がります。民宿とうべ屋をすぎると、すぐへんろ道へ入ります。前回、「きついのは最初だけ」と書かれた看板に誘われ、峠越えをしました。でも、きついのは、ずっとです。今回は、峠越えをやめて、歯長トンネルへ。トンネル内は、白いラインのみで段差なしの細い歩道。しかも、車がすれ違えない狭さで、ちょっとドキドキ・・・。でも、実は、トンネルの両入口で、車が中でぶつからないよう交通整理をして下さっているのです。
歯長トンネル歯長トンネル
トンネルを出たら大雨。後ろが歯長トンネルです。

トンネルを出ると、大雨。モンベルのゴアテックスを着て、へんろ道へ。最初は、すごい急な石段で、滑りますが、すぐ快適な杉の木道に。でも、どしゃ降り!この道は、歯長峠経由のへんろ道と違い、楽です。淋しい峠越えは、2度とイヤ・・・

43番明石寺
43番明石寺> 
台風の影響で猛暑と大雨が交互に。

11:13に43番明石(めいせき)へ。団体へんろで、お寺は溢れていました。私が着くと、まもなく、42番で見かけた若い男性遍路が。山道の得意な私のあとをよく追いかけて来られたものと、びっくり!私と同じく、あと20キロ、大洲まで歩きたいとさわやかな笑顔を向けてくれました。
お寺から急坂を登り、宇和文化の里の遍路道へ。「おへんろ通り」は、倉敷の街を思い出させ、ステキです。43番を出発して1時間でまた大雨に。雨が降っても、暑さは少しも変わりません。
鳥坂峠の表示が出て来て、(そうか!鳥坂峠があったんだ・・・)と、ようやく思い出しました。鳥坂峠へのへんろ道は、国道の270H地点からわざわざ田畑のある平地に下り、そこから一気に、淋しく暗い山の中、470Hまで上がるのです。あのお山は、歯長峠より、もっとイヤ・・と 鳥坂(とさか)トンネルへ。270Hから先、ほんの少し登るだけです。お寺のあるお山や、石鎚山など、神仏のいらっしゃるお山と、そうでないお山とは、気が全く違います。
トンネルへ向かう道は、雨が止み、猛暑になりました。1117Mと少し長いし、歩行者用段はありませんが、蛍光(反射)たすきを入り口で借りられます。それをかけると、まるでお守りのように、緊張が和らぎます。ありがとう!!車と対面する右側より、左側を歩く方が、車も歩行者も、準備心ができ、楽と思います。必死に歩いたせいか、トンネルを出ると、元気が出ました。トンネル内で、大洲市に入りますが、あとは、だらだら坂を下るのみ。とはいえ、足の疲労はピークに。札掛ポケットパークでは、14分も休んでしまいました。すると、今度は、雷の音が。急がなければ・・・。
肘川橋で大洲城を真横に観ながら、ときわ旅館へ。古いですが、凄く
親切で清掃の行き届いた旅館です。ここもおすすめです。バンドエイドやひえピタの入った「歩きへんろパック」をお接待で下さいました。今日は、47キロ歩きました。

肘川橋歯長トンネル
肘川橋から見た大洲城 小っちゃく中央に。
 
7月18日(金)

午前3時30分。あまりに激しい雨の音で起こされましたが、4時半には止んでくれました。6時2分にときわ旅館を出発。今日は、44番に向け、とにかく歩くのみです。へんろ地図にいろんな距離数字が書いてあったため、内子(うちこ)までの距離を7キロも少なく見積もってしまい、大変でした。1時間半も違って来るのですから。

十夜ヶ橋
十夜ヶ橋(とよがはし)> 
お大師様が橋の下で寝られて以来、橋の上を歩く時、遍路は杖をついてはいけないといわれています。
この十夜ヶ橋の下に、横になられているお大師様がいらっしゃいます。

十夜ヶ橋(とよがはし)は、お大師様が、その下で眠られたという橋です。ここから、橋のの上で杖をついては、いけないと、お遍路は言われるようになりました。橋を渡るのが申し訳ない気分で歩きますが、隣を車が次から次へとビュンビュン。現実と行場の境を歩いている不思議な気分です。新谷(にいや)商店会のへんろ道から、国道へ出たところで、昨日の青年とバッタリ!大体、一期一会なんですが、また会えるなんて・・・!軽装の青年は、さわやかな笑顔を残し、私の先を急いで歩いて行きました。
五十崎(いかざき))から、八日市街道のへんろ道を行こうとしたら、暗い山の中に入ると判り、戻って、国道へ。内子市街へ行く分岐点まで、ずっと、ミミズの死骸だらけでした。踏まないよう、目を凝らして歩きますが、途中、足を置く場所がないくらい一面のミミズで立ち止まってしまいました。昨日の大雨の後の猛暑のせいでしょう。それにしても、今日の暑いこと。最高気温33℃といいますが、影のないトコを今日は歩きっ放し。水分、塩分調整をしっかり考えないと・・・。
内子の「道の駅 フレッシュパークからり」には、自販機がありません。売店にある限られた飲み物で我慢するしかありません。ここから山の中へ入ります。今は、桃の時期で、あちこちで出荷準備をしています。自販機は道中、不自由しない距離にあります。私はいつも体が欲しがるモノを飲みます。それと、取りたくなくても、体のために「塩アメ」を時々なめるようにしています。しかし、激暑!足の裏がどうしてこんなに痛くなるんだろうと思ったら、道路が熱を持ってるんですね。異常に痛くて疲れるわけです。

仏岩
仏岩(ほとけいわ)> 
内子町・小田川の仏岩。
写真中央右よりに、仏様のお顔をした岩が見えます。

小田川の仏岩(ほとけいわ)は、上流からの川の流れが岩を削り、仏様の横顔を作ったそうです。鬼の手(おにのて)橋とか、興味深い所がいろいろあります。この道は、現在工事中。今年3月にできたばかりの梅津トンネルを越えると、まもなく379松山方面と380久万(くま)方面への別れ道。新しい道が増え、ずいぶん様子が変わりました。石山橋バス停の自販機横のベンチがありがたいの何のって・・・。でも、自販機の中は、クモが何匹も・・・。それから1時間、やっと小田の道の駅につきました。猛暑のせいで、私らしくない、ゆっくりスピードの遍路になり、少し不満が残ります。来月は、もっと暑そう・・・。
先月、プカプカになった右小指の爪が、帰宅後、ついに根本1ミリを残し、はがれました。
しぶとく、しがみついてる1ミリの爪のために、東京女子医大で治療してもらいました。あれから10日、今、うっすらと爪の赤ちゃんが誕生しました。回復力に我ながらびっくりです。

道の駅・小田「せせらぎ」内子町の道の駅・小田「せせらぎ
猛暑で、あと5K先の三嶋神社まで行くのを断念
 
今回 歩いた距離 107.7Km


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2巡目 8回目 08'8月14日〜16日

2008年8月14日(水)

今回は、道の駅・小田「せせらぎ」からのスタートです。
歩き始めた途端に汗が噴き出します。今日の最高気温は33℃。小田まで乗ったタクシーの運転手さんは、もと道路工事の仕事をされていた方で「いくら気温が33℃ったって、アスファルトの上は40℃以上になってるんだよ」と教えてくれました。どおりで、下を向くと熱風が吹き上げてくるわけです。底の厚いウォーキングシューズをはいてたって、足の裏がジリジリ痛みます。
44番までの長い道のりでは、三嶋神社が一つのポイントです。ここをすぎると遍路道。一気に100メートル上がります。曲がりくねる380号線をまっすぐに縫うようにして、へんろ道を1回、2回・・・。(ひぇ〜。すごい坂!)3回目はやめて、380号線を歩きました。今回、私は、農祖峠(のうそのとう)を通らず、380号線から落合経由で33号線へ。
以前は雪がすごかった農祖峠ですが、暗かったし、今回、草がどれほど高く生えているか判らず、少々、遠くても安全な方を取りました。正解。次も私は、この安全な方を取ります。

久万高原町 44番 大宝寺<久万高原町 44番 大宝寺>
この参道を登った先に本堂があります。
小田から約4時間後、44番大宝寺(たいほうじ)着。この遍路日記の表紙の写真は、冬の大宝寺近くです。とにかく暑いので、冬のキーンとした寒さが懐かしいです。
16:05に44番大宝寺を出発後、30分もしないで雨がポツポツ。623メートルの峠御堂トンネルを出たら、そこは大雨。大雨で車が先を急ぎ、ビュンビュン飛ばすため、どの車も私の頭から全身に、水しぶきをかけて行きます。ひどいなぁ・・・。
雨やどりにもならないけど、木の下で、モンベルのゴアテックスを着ました。でも、路上は川状態だし、荷物が置けず、ゴアテックスパンツまで、はけませんでした。1時間後、雨は、ほぼ止みました。ずーと下り坂。明日は、同じ道を戻るので、ずーと上り坂になるわけです。宿泊先の国民宿舎、古岩屋荘(ふるいわやそう)まであと500メートルってところで、いきなり激雨。バケツをひっくり返した状態の中を走る走る。もう靴も体もズブ濡れ。17:51に古岩屋荘に走り込んだところ、あまりの雨のすごさから、頭が呆然としたまま、何をしたらいいのか、体に指令が行かなくて、体が動けず、なんか「違う星に来た私」状態になってました。
45番岩屋寺本堂前<45番岩屋寺本堂前>
山門から約20分階段を登ります。
本堂脇のはしご段を上がった先に、岩壁の行場があります。
 
8月15日(木)

古岩尾荘
大宝寺→岩尾寺→大宝寺
と同じ12号線を行きます。
8/16に泊まった国民宿舎 古岩屋荘も、8/17朝は、晴れて、美しい景色を見せてくれました。
従業員の皆さん、とても親切にして下さいました。

朝起きたら雨は止んでました。45番岩屋寺(いわやじ)は、山門からが長いので、5:37,夜明けと共に宿を出発。帰りに宿に寄りチェックアウトをして、朝食を摂ることにしました。大自然の山と巨大岩と川の間を一人歩くのは、少々無気味。それで足が早まり、早く着いちゃいました。
人により違いますが、山門から本堂まで15分〜30分かかります。私は11分。また早く着きすぎ、7:00の納経開始まで30分待ち。
本堂は、巨岩のすぐ前に立っていて、荘厳です。絶対的なものに、自然とひれ伏したくなるような気分です。下りは、石段がずっと斜めになっているので、足下が濡れている日は、手すりをしっかり握って下りて下さい。
7:00古岩屋荘に戻り、朝食をゆっくり摂って8:07出発です。古岩屋荘の裏から始まる遍路道は、背丈ぐらい草が繁っているので、やめた方がいいと宿の人々に言われ、今回も12号線を戻ります。
33号線に入ると、ここから三坂峠までどんどん登り坂。三坂峠から、約3Kmは、山の中、ずっと下りの遍路道。ここは久万街道と言い、昔から生活に必要な道だったそうです。でも、この遍路道でなく33号線を行くと、10Km以上、遠廻りです。この山遍路道は、怖くないです。通った方がいいと思います。でも、山を抜けると今度はコンクリートの急坂がはじまります。この方がもっときつい。靴に足の爪が当たり、痛い!痛い!

網掛石三坂峠をすぎて、榎の町にある網掛石
お大師様が、石を綱に入れ、担棒をになったが切れて、飛んで来たという石。
急坂から解放され、網掛石(あみかけいし)をすぎると、やっと46番浄瑠璃寺(じょうるりじ)です。ここのお大師様は白着を着てらっしゃいました。
46番浄瑠璃寺<46番浄瑠璃寺>
難所、三坂峠を無事下りて、ホッと同時に疲労がドッ!
 
次の47番八坂寺(やさかじ)へは、0.9Kmもうすぐです。お寺に着く度、私は、靴と靴下を脱ぎ、ビーサンにはき替えます。ビーサンでお参りし、納経もする…。脱いだりはいたりは、めんどうですが、素足にビーサンは足の休養に、ものすごくなっているのです。これは、おすすめ!
47番八坂寺<47番八坂寺>
この近くの田んぼの中には、八塚(やづか)が点在しています。
今日の最高気温は34℃。とにかく暑い中、4.5Km先の48番西林(さいりん)寺へ向かいます。
松山付近は、お寺が集まっています。遍路中、私はいつも体が欲しがるドリンクを飲むようにしていますが、コカコーラのベンダーマシーンが四国は本当に多く、夏は、あまりに飲むので、飽きが来てしまい、渇いているのに欲しいドリンクがなくなってしまいます。でもドリンクは欲しいし・・・。欲しいものがなかったら、とりあえずリアルゴールドを飲んでいます。
48番西林寺<48番西林寺>
仁王様の眼光のすごいこと!
49番浄土寺(じょうどじ)へは、リハビリテーション病院を目指して歩きます。西陽が顔を容赦なく照りつけ痛くて痛くて・・・。
道でよく町の人から「暑いのに偉いですねぇ」と言われます。何かてれくさいです。冬より夏の遍路で皆さんから「偉いですね」と言われる方が多いということは、皆さんはきっと、冬より夏の方が苦手なのでしょう。私は、夏の方が得意かも・・・。
49番浄土寺を出ると、「道後まで5K」と、標識があります。道後に向かえることが、なんか嬉しい。でも、途中、車がビュンビュン通るのに、道が狭く、歩道がないに等しい所が・・・。くれぐれも車と接触しないよう気をつけて下さい。
49番浄土寺<49番浄土寺>
48番から3.2キロ!これぐらいの距離ですと、車遍路より、早く着けたりします。

50番繁多寺(はんたじ)へは、滑り込みセーフで納経をさせてもらいました。広々として、穏やかないいお寺です。抜群の景色を眺めながら、足を休めてから、51番石手寺(いしてじ)へ向かいます。とにかく51番まで歩いておいてしまおう。宿泊先の道後山の手ホテルは、通り道じゃないので、どちらにしてもタクシーで行くしかありません。でも、51番まで歩いておくと、翌日が楽なのです。道後山の手ホテルは、本当にステキなホテルでした。道後は、お盆で超混んでましたが、レストランも部屋も、大満足でした。
でも、今日47キロを歩き、疲れすぎて、写真を写すのを忘れてしまいました。
50番繁多寺<50番繁多寺>
飛び込みセーフで納経していただきました。広くて、きれいで、穏やかで、ステキなお寺です。

8月16日(金)

7:18,タクシーで、ホテルから51番石手寺(いしてじ)へ。道に面した所に立っている青年大師像は、笑みをうかべていて、ほんとにいい男です。ポーツとしちゃうくらいイケメンです。遍路で出逢ったお大師様の中で、トップクラスに入るいい男ぶりです。以前、車遍路で来た時、お正月だったので、お寺は人であふれていました。なんとなく浅草寺(せんそうじ)を思わせる庶民的で暖かなお寺、51番石手寺を出てからは、慎重に。以前、道に迷ったからです。この辺は、へんろシールがなく、へんろ石で道案内です。松山大学グランドまで来て、やっと遍路標識が現れました。

51番石手寺<51番石手寺>
道後近くにある大好きなお寺、石手寺。
浅草寺に少し似ていて、街の人々に愛されているお寺です。
52番太山寺(たいさんじ)は、広―いお寺です。山門から本堂まで570M。セミのシャワーを浴びながら、坂を登って行きます。高所なので、猛暑の中でも、少々、風を感じることができました。
52番大山寺<52番大山寺>
一ノ門から先が長く、一時間という時間がすぐに経ってしまいます。
53番円明寺(えんみょうじ) へ着き、お参りしていると、ガムをかみながら、親父が1人やって来て、納札箱を漁っていた。金や銀の納経札を捜して盗もうとしていた。こんなこと、絶対にしちゃいけません!円明寺からは、度々、遍路シールが消えて迷ったり、不安になったり・・・。
53番円明寺<53番円明寺>
町のお寺。信者さんたちが、朝からボランティアで、供養の準備をしていらっしゃいます。
14:00をすぎると、どんどん空が暗くなって来ました。そうして14:39雨がパラパラ降り出して…。疲労困憊。でも早く予定地の伊予北条駅(いよほうじょうえき)まで来れたので、早い「しおかぜ」で帰ろうとしたら、お盆ゆえ満席。仕方なく時間つぶしも兼ねて、大浦駅まで、雨の中を歩きました。雨がどんどん、どんどん激しくなって・・・。大浦駅より先まで、少々行けそうでしたが、あまりに雨が激しいので、断念。まぁまぁとにかく、雨も暑さも半端じゃない過酷な遍路でした。
次はいよいよ 石鎚(いしづち)山!88ヵ寺で3番目の高所、横峰寺(よこみねじ)が待っています。
今回 歩いた距離 107.3Km


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2巡目 9回目 08'9月2日〜4日

2008年9月2日(火)

大浦海岸
大浦海岸
とてもきれいな海岸沿いを東へ向かいます。まさかこの後、雨になるとは・・・。

全国的に雷の予報が出てしまった中、なんとか雷にだけは、遭いませんように・・・と、願いながら始まった9月、9回目の遍路。大浦の海沿いから歩き始めた時は、雨50%の予報とは思えないほどの快晴でした。今日は、珍しく、たった29キロと思うと、スピードが増してしまいます。
菊間町に着くのが、楽しみの1つでした。瓦の町なんです。道添いに並ぶ瓦屋さんの、すばらしい鬼瓦を眺めながら歩きます。気温は30℃。何か飲もうと自販機に近づいた時、愛媛ナンバーの車が止まり、2人の男性(ちょっとだけ元不良系)が下車して、飲み物を購入していました。それから、お金を自販機に入れ、私に「どれでも好きなのを押して下さい」って!なんて粋なお接待でしょう!「歩いてるんですか?頑張って下さい!」って、笑顔で去って行かれました。リアルゴールドと、元気をいっぱいいただきました。

54番 延命寺<54番 延命寺>
境内に売店があり、いろんな物が売られています。
54番延命寺(えんめいじ)が近づくと、歩道がないも等しくなります。なのに車の往来は、とても多いんです。15分近く、危ない道が続きます。54番延命寺境内には、お店があって、数々のお土産物を見るだけでも、気を抜けます。空は、だんだん暗くなり、ひと山全部霊園という大谷霊園を出たら、いきなり「激雨」が降って来ました。

55番 南光坊
<55番 南光坊>
雨女は、はたして雨に降られます。

54番から50分後、55番南光坊(なんこうぼう)に着いたら、雨は止んでくれたのですが、今度は、蚊の軍団にさされまくり。山門には、増長天、広目天、持国天、多聞天様がいらして、全身ゴールドです。予定では、17:00に南光坊でしたが、1時間早くなり、休憩もそこそこに、3.5キロ先の56番泰山寺(たいさんじ)に向かいました。JR予讃線を越えると、今治駅から、まっすぐ。あの有名な明徳高校脇を通ります。
お城の城壁が見えたら56番泰山寺。山門がないのが特長です。また雨が降り始めましたが、1日30キロを超えないのは、何か不満が残り、3.1キロ先の57番栄福寺(えいふくじ)まで歩いておくことにしました。明日は、タクシーで57番まで行き、そこからスタートすればいいのです。蒼社川にぶつかると、遍路石が川の中に入れと矢印を出しています。昔は、川の中を歩いて渡ったようですが、今は、山手橋を渡ります。そこからは、1.3キロ。57番近くの川沿いの遍路道は、草ボウボウなのでやめました。宿泊は、高層の今治国際ホテル。レストランで野菜スープをおかわりし、清潔な部屋でゆっくり休ませてもらいました。
56番 泰山寺<56番 泰山寺>
お城を思わせる白壁の泰山寺。2匹のワンちゃんに会えるかも・・・。
57番 永福寺<57番 永福寺>
祖父の跡を継がれたという若いご住職が、古いお寺の良さをそのまま残して下さっています。
 
9月3日(水)

つい先刻まで、栄福寺あたりのみ、雨が降っていたと、タクシーの運転手さんが。57番栄福寺は、古さと、お寺の個性が、そのまま残っているお寺です。大切に大切にされて、年月を経て来たお寺のように感じられました。雨上がりで、長い生き物が出てくると怖いので、一般道を行きます。

200M上がった先にある58番仙遊寺(せんゆうじ)は、坂道を徐々に霧の中に入って行ったので、余計に仙人が遊んでらっしゃる山のように思えました。このお寺の楽しみは、なんといっても山門から旧参道に入ってすぐの所にいらっしゃる、とにかく美しい一如観音様と、ハッとするぐらい艶やかな遊戯観音様です。見とれてしまって、いつまでも、目が離せません。美しすぎて、ため息の連発です。
仙遊寺から、へんろ道を下ると2キロ弱近道なのですが、あまりに傾斜が急で、晴れていても滑るため、雨上がりの今回は、一般道を通りました。麓には池が3つあり、その1つは、蓮で埋まっていました。ポツリと花が咲いていて、感激。泥の中から、美しく咲く蓮の花のような一生を終えたい・・・。私は、蓮の花に憧れます。

58番 仙遊寺<58番 仙遊寺>
300Mの高さの作礼山。霧の中を登って行った先が、仙遊寺。
58番 仙遊寺仙遊寺の麓の池で、私の大好きな蓮の花が一輪咲いてました。
 
59番国分寺(こくぶんじ)には、握手をさせてもらえる修行大師様がいらっしゃいます。もちろん私も両手で握手。一つだけ、お願いごとをしてもいいそうです。
前回は、何があっても番号順にと、59番のあと、60番横峰寺(よこみねじ)へ行きました。大雨の中、途中、土砂崩れで、道のない所を通って行きました。さらに、60番の次、61番香園寺(こうおんじ)の奥の院経由という山遍路道がすごくて、私の身長より高い草の繁る中、両手で草をかき分け歩いたのです。怖くて怖くて2度とイヤと思ったので、今回は、61.62.63番吉祥寺(きっしょうじ)まで行ってから車道で60番へ行くことにしました。61番香園寺は、コンサートホールのように立派な本堂です。ゴールドの大きな大日如来様の左に、とても優しいお大師様が。。。
61番から、わずか1.5キロで62番宝寿寺(ほうじゅじ)です。
車が激しく行き交う町の中にあります。さらに1.4キロで63番吉祥寺。「念ずれば花ひらく」と書かれた大師堂のすぐ横の石が、とても印象的でした。ここから石鎚山へ向かいます。
142号線に入ると、だんだんだんだん淋しくなって行きます。車も来ないし、山の中、延々と、整った坂道のみ続いていて、(道をまちがえたのかな)と心細くなって行きました。その上、「石鎚登山口まで15キロ」という表示があり、石鎚登山口って、もしかして京屋支店さんのある60番横峰寺への登山口のこと?(ひぇ・・・まっ暗になっちゃう。。。)と、焦ったのが幸いし、5.8キロの上り坂を60分で歩き、京屋支店さんに着いてしまいました。
59番 国分寺<59番 国分寺>
今回は59番 国分寺から60番へ行かず、61〜63番まで打って、60番へ。
61番 香園寺<61番 香園寺>
大講堂を思わせる本堂には、金の大日如来様が。
62番 宝寿寺<62番 宝寿寺>
61番から、約1.5キロ。嬉しい距離の宝寿寺。
63番 吉祥寺<63番 吉祥寺>
町中にある63番 吉祥寺
この後、霊峰、石鎚山へ向かいます。
60番 横峰寺<60番 横峰寺>
濃霧の中の60番 横峰寺
後ろは大師堂です。
9月4日(木)

午前4寺頃まで強く雨が降っていました。午前5時10分すぎから、明るくなるのを待って5時24分、京屋支店さんを出発しました。が、山道はまだ暗く、前方を何かが走って横切ったのですが、タヌキか鳥か、判らないくらい暗かったです。1分ごとに明るくなり、やがて黒瀬湖が下方から浮かび上がって来ました。
2キロ歩くと、平野林道料金所です。普通車1800円、軽1400円。徒歩6キロ約2時間、車は約20分と書いてあります。坂は急で細いですが、自販機も何もないので、集中して、ひたすら登れます。途中から濃い霧に包まれて、少々淋しくなりましたが、登り坂の得意な私は、料金所から64分で60番横峰寺に着けました。
石鎚山(いしづちさん)・横峰寺の気をお土産にしようと、本堂で手拭いを買い、霧の中に浸し、その手拭いをビニール袋の中に詰め込みました。同じ道を辿り、京屋支店さんに9時に着いてから、遅い朝食です。年3回、石鎚山に登拝する時、京屋さん本店に寄らせてもらうのですが、京屋支店さんには、新しく歓喜奄(かんきあん)ができ、食事と、景色と、温泉を楽しめるようになっています。

観喜奄<歓喜奄 ( かんきあん ) >
京屋支店さんに新しくできた歓喜奄(かんきあん)の露天風呂。
泊まらず入浴+食事のみもOK。

64番前神寺(まえがみじ)の手前に石鎚神社があります。めくれていた左足の小指の爪が、また痛くなって、親指の方にしか力をかけられず、足をひきずり始めたのですが、石鎚山が私のご本尊様ですから、嬉しくて階段をいっぱい登り、本殿にご挨拶をして来ました。神社の皆さんとお話しして、パワーをいただき、64番前神寺へ。入口は町中から入るのに、中に入ると、山の中にいる気分になります。休もうとしたら、空が暗くなって来たので、あわてて出発しました。前も、途中で大雨に降られ、伊曽(いそ)の橋のへんろ標識が見えず迷ってしまい、武丈(たけじょう)公園へ行っても、前が見えず迷ったりと、さんざんでした。今日はかろうじて、雨から逃れ、この地域をすぎることができました。

石鎚神社の境内<石鎚神社の境内>
疲労いっぱいの心と身体を癒してもらいました。
64番 前神寺<64番 前神寺>
石鎚山 奥の院は、石鎚山ロープウェイを下りた先にあります。
やがて、私が名づけた「犬のフン通り」。福武新田集会所をすぎた先から、道が犬のフンだらけになります。前もそうでしたが、一匹、大きな犬の飼い主が始末をしないようです。右端は通れません。
大生院(だいじょういん)というところあたりから、旧街道が登り坂になります。国道は、ゆるやかですが、歩道の中に高低があり、踏み台昇降状態なので、旧街道の方がましかも。でも、トイレも腰を下ろす所も全くなく、足をひきずる私は、アパートの1階の空き部屋前に座り込んで休憩をしました。こういうことができるのも、遍路ならではです。その後、喜光商店街を抜けますが、今回もふれあいの広場では、男性たちがお酒を飲んでいました。座る所があるので、休みたいのに、今回も休めません。
7月に小指の爪がめくれ、少し爪ができてきた所が、まためくれあがり、おまけに絆創膏負けして、皮もめくれ、へんろから戻った翌日と翌々日は、半歩ずつしか歩けませんでした。でも、回復力のすごさには、自分でもびっくり!3日目から、ゆっくりですが、いつもの歩幅で歩けるようになったのですから。これで、2週間後の出羽三山行も大丈夫!
3回3ヶ月に渡る猛暑と猛雨の夏の遍路も、ようやく終わりました。
 
今回 歩いた距離 102.4Km


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2巡目 10回目 08'10月7日〜9日

2008年10月7日(火)

65番 三角寺本堂前
<65番 三角寺本堂前>
お寺の女性に写していただきました。

9:14 今にも雨が降りそうな中、 新居浜(にいはま) で下りて、国道11号線冬木の交差点から歩き始めます。65番三角寺(さんかくじ) 27.2キロ。うち3.5キロが山の中の坂道です。あたりは、赤い彼岸花だらけ。その美しい彼岸花の近くに、必ず大きなクモが巣を張っているのは、どうしてでしょう?
11:12 延命寺で、いつものように休憩をさせてもらいます。お遍路さんが4人、ベンチにいらしたので、彼らが去ってから、ベンチを借り、ソイジョイを食べました。山でも、遍路でも、ソイジョイは、大活躍です。すぐに4人お遍路を追い越したのですが、どうも、歩き遍路の人々が持っている独特のさわやかさや、内から出てくる重みが感じられないのです。おかしいな・・・と思ってたら、後に三角寺で判明しました。
近くの伊予土居駅から伊予三島駅まで電車に乗り、タクシーで三角寺へ来られてた所に、歩いて登って来た私と出くわしてしまったのです。私のような「つなぎ遍路」でも、また「区切り打ち遍路」や、「通し打ち遍路」にしても、歩きには歩きの独特のオーラというか、においがあるようです。
10月に入ると、ホットドリンクをカラダが欲するようです。最近の遍路でのお気に入りは、リプトンリモーネレモンティです、ベンチのあるファミリーマートで飲んでいたら、四国中央市商工会議所の方が2人、HPを見たと、11号線を追いかけて来て下さいました。お話してたら、雨が降り出し、あわてて出発。雨女の私は、毎回、雨に出逢ってしまいます。
65番三角寺へは、途中から、車の入れない遍路道に入ります。120Hから500Hまで、一気に上がりますが、登山好きな人が喜びそうなお山。悪くありません。途中、一ヵ所だけ、ジトジトして、気味悪い所がありますが、さすが、そこには、お地蔵様がいらして、しっかり守ってくださってます。

曽根義泉ご住職と
四国中央市定蓮寺の曽根義泉前ご住職と。
待ち伏せお接待に感激しました!

76段の階段を上がると65番三角寺。三角の池には、弁天様がいらっしゃいます。いいお山道だったなぁ・・・と、心が暖かくなります。
宿泊先の一野屋旅館さんまで4.3キロ。まっすぐ下っていけばいいものを、なぜか途中で遍路道へ入ってしまい、とんでもない方へ出て、2.5キロも余分に歩くことになってしまいました。極力、遍路道を通らないようにしているのに、どうして、今日に限って・・・??やっと、山を下りて来たら、どこから私が歩いていると、ばれたのか、定蓮寺のご住職と、前ご住職が待ちぶせしていて下さり、びっくり!こういうサプライジングって本当に嬉しいです。
歩き遍路にとって、一番嬉しいお接待って、私は「声をかけて下さること」「挨拶をして下さること」と思っています。マスコミ報道により、誤解されがちですが、お菓子など、モノではありません。お声をかけていただくことによって、パワーをいただき、私たちは、それでまた元気に歩けるのですから。

 
10月8日(水)

今日は、88ヵ寺で1番高い900Hの66番雲辺寺(うんぺんじ ) に登ります。番外椿堂でお参りをし、トイレをお借りしてから先・・・66番まで、トイレはありません。あてにしていたコンビニのようなお店「水車」も閉まってました。192号線は、あまりにトラックが飛ばすので、帽子をやめて、手ぬぐいを頭に巻きました。これは、額に落ちてくる汗止めと、山の中にいっぱいあるクモの巣が頭に直接ひっかかるのを避けるのに便利です。

番外椿堂 66番 雲辺寺への道
<番外椿堂>
雲辺寺まで、唯一の安らぎの場所といえるかもしれません。
66番 雲辺寺へはこの高速のずっと下から、どんどん、どんどん登って行きます。

66番 雲辺寺ロープウェイ駅前
<66番 雲辺寺ロープウェイ駅前>
ちょっと面白い県境です。


遍路山道に入ってから、急な坂道が2.5キロ続きます。しんどくて、しんどくて、体力が落ちたな・・・と、ショックを受けていたのですが、35分で登ってしまっていたのです。山道が暗いから、早く早くと登って行ったら、ペースが早すぎて、それでしんどかったようです。
66番雲辺寺では自販機がありません。見事な五百羅漢を眺めながら急な坂を上がり、ロープウェイ駅まで行かないと飲み物はありません。でも、ここで買っておかないと、約6キロ自販機がありません。それで私は、アイスココアをがぶ飲みし、持ち歩き用にアミノサプリを買いました。ところが、延々と続く急な下り坂の山道の中、飲み物を飲もうとしたら、なんと、ない!!自販機で買ったものの、取り忘れたのです!!
絶対おすすめ!の「民宿 青空」をすぎ、観音寺市内を歩いていると、あちこちで、カマキリがチョロチョロと、車道を歩いています。一度、トラックの風圧に飛ばされた姿を見て以来、一匹一匹見つける度に、草むらの中に戻してあげるようにしました。フラフラのカマキリもいて、話かけていたら、涙がポロリ。生命の大切さを教えられました。
びっくりしました。去年、めいっぱいあった岩鍋池の水がカラカラになってたのです。水不足だ・・・。
66番 雲辺寺<66番 雲辺寺>
H880メートル地点

67番 大興寺
<67番 大興寺>
お寺に入ると、ビーサンに替えます。足が休まります。

67番大興寺(だいこうじ) の入り口の橋のまん前にタクシーが止まっていて道を塞いでいました。お客様が参拝中のようで、ドアを開けて運転手さんが待っています。が、通れないのを見てても車を動かしてくれません。雲辺寺に登り、10キロかかって下りて来て、これが現実。もっと人に心づかいをしようと、教えられました。

あと1時間53分。8.7キロ先の68番 神恵院(じんねいん)69番観音寺(かんのんじ) に間に合うかも・・・と、予定を変更し、急いで出発しました。
前回、道を間違えたので、今回は、遍路標識を見逃さないように慎重に、でも急ぎました。 琴弾(ことひき) 公園を左に見ながら急ぎに急いで6分前。68番神恵院に到着しました。「ギリギリですみません」と言うと、納経所の方が、「いいえ。大丈夫ですよ」と、笑顔を向けて下さいました。68番と69番は、同じ敷地の中にあります。新しい建物の68番。古くて赤い建物の69番。いずれも、ステキな雰囲気のあるお寺です。17:00すぎても、参拝に来られる地元の人も多く、私も、ゆっくりお参りさせてもらいました。
この夜、宿泊した所は、部屋に遍路おやじの霊がいて、ずっと眠らせてもらえませんでした。でも、金剛杖をおやじの前に置き、「こっちに来ちゃダメ!」と言ったら、律儀にずっと正座をしたまま、近づいて来なかったのです。へんろ宿に霊は多いものですが、金剛杖に守っていただくという方法を試してみて下さい。

68番 神恵院・69番 観音寺の境内<68番 神恵院
69番 観音寺の境内
>
日暮れが早くなりました。
 
10月9日(木)

70番へは、財田川添いの向こうと、こっちを歩く方法がありますが、前回、68側(向こう)を歩き、迷って、4キロ余分に歩いたので、今回は、反対側を。車も通らず、快適でした。

70番 本山寺<70番 本山寺>
境内は、NHK撮影隊でごった返しでした。

70番本山寺(もとやまじ) のご本尊様は、馬頭観音様。これまで遍路をして来て、チョウやヘビ、カマキリ、その他の生き物が多勢、車にひかれて死んでいるのを見て来ました。その度、心が痛かったので、遍路で出逢った生き物たちの供養をここでさせていただきました。でも、境内では、NHKBSの撮影準備中。テレビ局の方々が、境内にわんさかといらしたので、すぐに出発しました。近くの店で、「宅配便お願いします」と、中へ入ったら、おばあちゃんにイヤな顔で「何送るの」と言われたので、私も鏡のつもりで「荷物」と、おばあちゃんのマネをして無愛想に答えてやりました。まだ人間ができてないと反省しつつも、最後まで、徹底してカンジ悪い女の芝居をし、楽しんでいる自分がいました。

71番 弥谷寺
<71番 弥谷寺>
納経所(大師堂)前の階段

朝食ぬきだったので、71番弥谷寺((いやだにじ) の下の「いやだに温泉ふれあいパークみの」の喫茶店タイムでモーニングを。ここのサラダがすごい美味でした。ミルクティーは、おかわりして二杯いただきました。
弥谷寺まで1キロが坂です。お寺に入ってからも、100段+236段+183段の階段を登って、やっと本堂へ。階段と坂続きの45番岩屋寺を思い出しました。納経所は、大師堂の中にあり、ここでは、お買物もでき、楽しいです。72番曼荼羅寺(まんだらじ) への遍路道は、竹やぶです。ここは、ヘビが出ることで有名。京都の竹林と違い、竹が、やたらとぶっとくて無気味です。また、山から下りてすぐにある池の脇道も、ジメジメで草がボウボウ・・・。怖かったので、今回は、1.5キロ長くなるけれども一般道へ行きました。鳥坂峠まで坂道でしたが、竹やぶの気味悪さに比べたら、何でもありません。72番曼荼羅寺の山門に入ると、池の中にステキなフラワーアートが。古くて、こじんまりしたいいお寺です。

72番 曼荼羅寺の池の中 72番 曼荼羅寺の池の中
73番出釈迦寺(しゅっしゃかじ) まで、わずか500M。1.4キロ先の奥の院、 捨身ヶ嶽 ( しゃしんがだけ ) では、お大師様が子供の頃、捨身の修行をされました。ご住職と副ご住職と3人で、捨身ヶ嶽へ行きました。荘厳・・・という言葉がピッタリ・・・。雲の上の仏様の世界のようでした。
73番 出釈迦寺の入り口<73番 出釈迦寺の入り口>
後方の山は捨身ヶ嶽禅定
73番 出釈迦寺<73番 出釈迦寺>
奥の院で岡田賢城副ご住職と。

なんと、このあとカメラ紛失!
これから後の写真がありません。



74番甲山寺(こうやまじ) へもわずか2.2キロ。でも途中で、民家の裏の狭い道を通ります。ここに放し飼いの犬がいます。今回は飼い主らしき方が近くにいましたが、ケアはしてくれません。大人しい犬ですが、放し飼いの犬の横を通るのは、毎回怖いです。余計なことを一切しないで、ただ歩き去ることがよさそうです。
74番甲山寺から、またわずか1.6キロで、お大師様がお生まれになった場所、75番 善通寺(ぜんつうじ) です。ここの売店のみで販売しているという「霊場茶」を買いました。広すぎて、左右どちらへ行ったらいいか迷ってしまいますから、大師堂は橋を渡る方と覚えておいて下さい。先に、橋を渡らない本堂の方へ行って下さい。納経は大師堂のある方です。ちょっと売店で遊びすぎました。気づいたら、あと48分。大急ぎで3.8キロ先の76番 金倉寺(こんぞうじ) に向かいます。逞しい仁王様の山門から入ると、ドーンと境内が開けています。納経所についたのは、17時5分前。ところが、納経所の方は、もう筆を洗ってらっしゃいました。イヤな目配せを納経所の方同志で、されてから、それでも納経をしてくださいました。が、帰る格好をして出入り口で、私が着いた時からすでに立っていた納経所の1人の男性が、「おつりなしで用意しときなよ」と、ビシャリと、私に言うので、(まだ5分前なのに・・・)と、ムッとしながら、「はい」と口先で言っておきました。なんとも気まずい、10回目の遍路の幕でした。
そういえば先日、車遍路で行ったお寺は、まだ16:30なのに、ろうそく立てと線香立てのお掃除をし終えてしまい、参拝者が次から次へと来るのに、ろうそくを立てられなかったことを思い出しました。何があろうと、受け入れることが遍路行なのでしょうけれども・・・。まだまだ、受け入れるのに、時間がかかることが時々あります。
来月はいよいよ87番までです。
 
今回 歩いた距離 99Km


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2巡目 11回目 08'11月18日〜20日

2008年11月18日(火)

この日、日本全国に寒波が訪れ、あちこちで初雪が降りました。11月用の格好をしていた私は、寒くて寒くて・・・。見かける歩き遍路さんも、車遍路さんも皆、お寺で震えて、「寒い寒い!」を連発されてました。まだ、体が冬に慣れていないので、まるで真冬の遍路のような体感です。でも、この秋の厳寒でもお行中は、大丈夫なんです。お行だからOK。水行も、水の中に入っていて、どうして冷たくないのかしらといつも思います。でも、結界を解いた瞬間、体がガタガタ、踊り出します。遍路もそうです。宿につくと、もうダメ!冷え切っていた体が、ガタガタと震え続けていました。今回の遍路は、山ばかりです。
76番 金倉寺 ( こんぞうじ ) から出発。観光バスが何台も出入りしていました。

76番 金倉寺<76番 金倉寺>
前回カメラを紛失して、写真の無かった76番金倉寺よりスタートです。
葛原正(くずはらしょう)八幡神社を超えるまで、少々暗く、肌に当たる風は、真冬のそれのように強くうなります。
3.9キロで77番 道隆寺 ( どうりゅうじ ) です。やはり境内は、観光バス遍路で、にぎわっています。某バス団体遍路の女性先達が声をかけて下さり、やがて「歩く」話になりました。何かを言われて私は、「足はボロボロですよ」と、たしか答えたのですが、「ふだん歩いてないから?」と言われ「????」。(私、毎月、山行やらせてもらってるし、2泊3日で毎月、すごい距離歩いてるんだけどなぁ)と思い、「毎月100キロ以上、2泊3日で歩いていれば、足に来ますよ。歩き遍路は皆、膝をやられたり、足の爪をはがしたり、足がボロボロなんですよ」って答えたら、「どうして?」って。「????」
100キロ歩くってことをお解りいただけないようです。同情が欲しいわけじゃないけれど、これも現実。やっぱり歩かないと解りえないこともありますよね。
高野山真言宗・瑠璃光山 浄光寺の中村幸璋副ご住職が先達されるバス遍路さんたちと、大師堂で出逢いました。ツアーガイドの方にシャッターを押していただいたり・・・。雨女の私は、今回も小雨のシャワーを浴びて、78番 郷照寺 ( ごうしょうじ ) へ。
77番 道隆寺<77番 道隆寺>
お寺に着くとビーサンにはきかえる・・・足の休養になり、座って休まなくてもすぐにスタートできます。
78番 郷照寺<78番 郷照寺>
お庭のすごききれいなお寺でした。寒くて寒くて、この後、お寺にいた人、皆、上着を着ました。
境内がとてもきれいで、山をバックにして本堂が建っています。景色を眺めるのも束の間。歩いていないと、寒くて寒くて・・・。お寺にいた方、皆さんが、ジャケットをあわてて着始めました。

79番 天皇寺
<79番 天皇寺>
白峰宮(神社)の隣。
別名 高照院です。

78番を出た所にある 閻魔堂 ( えんまどう ) を右へ。田尾坂公園をまっすぐ突き抜け、坂道の本町商店街を抜け、さらにまっすぐ行くと、 八十場 ( やそば ) をすぎ、やっと79番 天皇寺(高照院) ( てんのうじ ) です。前回、この白峰宮(神社)に着いてから、隣の天皇寺へ行くのに、神社の中を横切ってはいけないと思っていたため、外からの行き方が判らず、あっちこっちウロウロ。今回は、本殿を参拝した後、境内を横切らせてもらい、社務所の前を通って、そのまま隣の天皇寺へ入らせてもらいました。
「去年、80番 国分寺 ( こくぶんじ ) で会いましたね」と声をかけて下さったのは、タクシーの運転手さん。そうそう、私は、この方を捕まえ、「シャッターを押して下さい」と、言ったのです。こういう再会は、嬉しいですね。
寒くて寒くて、加茂町のローソンで食べた、おでん2個の美味だったこと!約7キロ間隔で3ヵ寺が続き80番国分寺へ。
境内の川には、琵琶を弾いているステキな弁財天様が。その前に七福神が並んでいらっしゃいます。ご本尊様は、珍しい11面千手観世音菩薩様で、もう本当に見事なお姿です。
さて、ここからお山に入ります。前回、「あの山の頂上の鉄塔まで上がるんだよ」と町の人に麓で教えられ、「ひえ〜」と思いましたが、今回は、覚悟ができています。美しい紅葉の下を歩き、やがて急な山道に・・・。
「まむしに注意」の看板には、季節はずれでも、ドキッ!あわてて金剛杖に鈴をつけました。一本松(県道)までのたった0.9キロが、とってもしんどいです。県道に出ると、76番で一緒になった女性先達の観光バス遍路とすれ違い(バスと、あまり変わらないなぁ・・・)と思いながら、今回は、へんろ道を使わず、県道を行きました。「魔尼輪塔」あたり、ちょっと暗いトコがあるからです。
16:34に、81番 白峯寺 ( しろみねじ ) に着くと、なんと77番でご一緒した中村副ご住職のバス遍路さんが・・・。バス遍路と歩きが、ほぼ一緒なんて、ちょっと嬉しい気分です。17時前なのに、暗くなって来たので、あわててお寺を出て、1.4キロ先のカンポの宿・坂出へ。レストランからの夜景は、ゴージャスです。部屋もきれいで、また訪れたい宿です。
白峰寺・根香寺へ これから白峰寺・根香寺へのへんろ山道へ。山のてっぺんにある塔の下まで、へんろ山道を登ります。
白峰寺・根香寺白峰寺・根香寺へのへんろ山道に、こんなに美しい紅葉が・・・。
81番 白峯寺<81番 白峯寺>
ここで、朝、77番で一緒になったバス遍路さんと再会しました。
11月19日(水)

朝から、強風注意報が出て、最高気温が、11月というのに、たった9℃です!
五色台スカイラインを戻り、今回は自衛隊吉田廠舎の横からへんろ道へ入りました。あと3.8キロで、 82番 根香寺 ( ねごろじ ) 。山道を登る中、木と木が強風に揺れて、ギギー・・・と、お化け屋敷でドアの開くような音があちこちで。まるで、マイケル ジャクソンの「スリラー」の世界でした。赤い山寺へ着くと、なんと昨日、81番で再会したバス遍路さんたちが・・・。再々々会です。車の遍路さんとは、まず一期一会。再会するのが、とても難しいのに、ご縁を感じずにはいられませんでした。嬉しくて記念写真を撮りました。でも、もうお別れです。これから、しばらくは山越えがなく、一般道が続くため、とても歩きでは追いつけません。ちょっと淋しかった・・・。

82番 根香寺<82番 根香寺>
82番根来時で再々会できた時は、皆して喜んじゃいました。

増田精一さん撮影

82番根香寺の本堂は、回廊です。燈明が天井に沢山かかっていて、おごそかなのに、淡い赤灯のせいか、艶っぽさを感じました。
盆栽に興味のない人でも、買って帰りたい気分になるほど、盆栽だらけの盆栽通りを下りて、 83番 一宮寺 ( いちのみやじ ) に向かいます。
水路に添って、へんろ道を歩いていたら、いきなり飲食店から出て来た若い男性がパンツのジッパーを下ろしながら水路に!そこに私が・・・。一瞬お互いに動きが止まりました。「が・・・頑張って下さい」と、なんとも妙な表情で言われてもなぁ・・・。「ありがとうございます」通りすぎて、ふり返ったら、やっぱり始めてました。
このせいで、私は左端にあったへんろシールを見落とし、道に迷い、大遠廻りをしました。
83番一宮寺は、家や学校や田園に囲まれた中にあり、のどかで、きれいなお寺です。でも寒くて寒くて・・・。こういう時は、自販機のコーンスープが嬉しい。すぐに出発し、強風に体を飛ばされながら歩きました。そうしてまた、今回も 栗林 ( りつりん ) 公園近くで、迷いました。迷った時に、正しい道を把握しておかないと、同じ所で何回も迷ってしまうようです。
以前、慰問講演に行った高松刑務所をすぎた頃、前方に暗い雲が・・・。歩を早め、宮脇書店を左に曲がったら、あとは84番 屋島寺 ( やしまじ ) まで一直線。

83番 一宮寺<83番 一宮寺>
寒くて寒くて震えています。
屋島西町の自販機で、「じっくりコトコトコーンスープ」を飲んでいたら、空き缶入れの中に、生ゴミやカップラーメンの容器など、生活ゴミがスーパーの袋にたっぷり入れられて、つっこんでありました。ひどい!悲しくなるくらいイヤなものを見てしまいました。そこから先は、どんどん坂道がきつくなって行きます。特に「本堂まで1665メートル地点」からが、とても急な坂なのですが、30分で着いてしまいました。やはり、源平合戦の地だけに、山門の仁王様は、特に怖い顔をしていらっしゃいます。
山門から、まっすぐ先に鎌倉時代の朱色の本堂が見えます。熊野権現社が、境内にあり、すぐに祝詞を上げさせてもらいました。蓑山大明神(タヌキ様)をすぎた先の大師堂を覗くと、もう、なんという優しいお顔のお大師様・・・!心が熱くなって来ました。
強風に飛ばされながら、人がほとんどいない中、わずか4分で、宿に着きました。体が冷えきっていたようで、どんなに暖かくしても、どんなに熱いお茶を飲んでも、体は暖かさを感じることが、できませんでした。
 
11月20日(木)

キーンとした寒さの中、来た道を下って行きます。実は私、これまで、来た道を辿らず、へんろ道を下りて行ったと思っていたんです。だから今回も、屋島合戦で、源氏の兵が武具を洗ったという血の池からへんろ道へ行くと・・・。でも、超急坂だし、義経の身代わりのお墓や、義経弓流しの場などを通るのは、ちょっと怖い・・・と思い、へんろ道を行かず、距離は増えますが、来た道を下りました。池の所まで下りると、足が急に「左に曲がって!」と言い出して・・・。やっと思い出しました。へんろ道が怖くて、私はずっと、この道だったのです。屋島神社前の道は、通学路なのに、抜け道で、車がビュンビュン飛ばします。横断歩道も、なかなか止まってくれず、すごい危いです。

84番 屋島寺<84番 屋島寺>
源平合戦の地。

84番屋島寺のH284からH30に下り、対面しているH230の 85番 八栗寺 ( やくりじ ) まで登ります。でも85番八栗寺の坂の方が楽です。85番八栗寺は、かって、大学生と子供たちと、お母さん方が、お接待キャンペーンをしていた所です。お菓子をくれてやることが「お接待」という姿勢で、へんろを見つけたら、「くれてやる的」態度を取られ、何よりも座りたいのに、お母さんがベンチを独占してしまっていて、腰を下ろすことさえできず(これも現実か・・・)と、ムッとした気持ちを呑み込み、下山したことが蘇りました。
お接待って私は、モノではなく、お接待して下さる人の、「やさしい気持ち」だと思うのですが・・・。
イノシシ注意」の看板にビクッとしながら、21度の傾斜を下って行きます。手袋の中に、インナー手袋がいるくらい、空気は冷たいです。
さぬき市に入った所で、宅急便を送りたくて食料品店に入ったら、自家製おうどんを熱心に勧められ、断りきれずに、おうどんを買って、送ることになりました。そうしたら最後に「お接待」と、おうどんを出され、宅急便を送って、軽くなったはずのリュックがズンと重くなりました。

85番 八栗寺<85番 八栗寺>
屋島寺と対局に位置する八栗寺。鳥居の上方から光が・・・。
町の中にある 86番 志度寺 ( しどじ ) は、唯一、境内は診療所のあるお寺で、ご住職が院長先生です。診療所と同じ建物内にあるトイレは、靴を脱がないといけないし、男女1ヶしかないので、団体さん向きトイレではありませんが、とてもきれいです。さぬき市なんだから、なんとかおうどんを・・・との望みもはかなく、おうどん屋さんがなく、 87番 長尾寺 ( ながおじ ) へ行く途中も、ずっと、おうどん屋さんに飢え、(仕方ない、87番の納経所隣の食堂で食べよう)と諦め、(さぬきうどん!)と、胸をときめかせながら87番へ。まず食堂へ行こうとしたら、「本日定休日」! ガーックリ。 ここの食堂兼売店が楽しみだったのに・・・。まず、拝みなさいということですね。仁王様の太い足が、とても印象的でした。
86番 志度寺<86番 志度寺>
いよいよ満願が近づいて来て、この笑顔!五重塔前で。
87番 長尾寺<87番 長尾寺>
人になかなか出逢えず、仕方なく、山門をパチリ。
さぁ、ここから88番 大窪寺 ( おおくぼじ ) への道が始まります。もう終わりと思うと、淋しい・・・と同時に、また新年1月から廻るためのプレッシャーが押し寄せて来ます。
以前は、満願することばかり考えていましたが、今はもう、次の遍路の室戸岬までの長い道のりや、小さな歯長トンネルのことを考え、(また大変だ・・・)などとドキドキしています。こうして私は、ずっとお大師さんの足跡を辿り続けるのでしょうか?
17:00までに88番に入れるのですが、翌日の仕事のために88番まであと10キロ地点で戻ってきました。

次はいよいよ88番とお礼まいりです。
前山ダム<前山ダム>
87番から約5キロ。近くに「おへんろ交流サロン」もあります。
 
今回 歩いた距離 91.4Km


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2巡目 12回目 12/24(水)

2008年12月24日(水)

今年は、11月から冬が来たみたいに寒い遍路でした。「道の駅 長尾」から、すぐに歩き始めます。 88番 大窪寺 ( おおくぼじ ) を打ってから、19.2キロ歩いて、10番切幡寺近くの旅館八幡まで、日暮れ前までに辿りつかなくては。旅館八幡は、手打ちうどん屋さんの旅館です。ここのうどんすきが本当に美味。毎回、打ち始めの初日と、お礼まいりに行く最終日に、泊まらせてもらいます。88番へ行く県道3号線は、歩道が途中から段がなくなり、白ラインだけになります。トラックと軽自動車が、ビュンビュン通る狭い道なので、トンネルの中を歩くような緊張感を伴います。いよいよ結願・・・。
でも、私は歩きながら、翌月から始める次の2泊3日つなぎ遍路のことばかり考えていました。大変な道のりの室戸岬や、足摺岬から、延光寺まで孤独と共に歩く三原村や、炎天下の山の中を延々と歩く大宝寺や、880Mの雲辺寺の暗い遍路山道のことを思い浮かべ、心を重く、緊張させていました。1400キロ歩けば、お行になるというお行はもう卒業。道も事情も判った、これからこそが本当のお行です
空海さんは、この次、私に、どんな厳しいお行を与えようとされているのかしら? そんなことを考えていたら、女体山方面への新しい遍路標識が。この小ぎれいな標識に従って行くと、大きな困難が待っています。両手を地面につけてなくては登れなくなるという女体山遍路道へ行ってしまいます。私は行こうと思ったことさえないけれど。。。「これで最後だから」と、あえて女体山登りをするお遍路も多いとか。旅館&食事処の「竹屋敷」をすぎてから、遍路道へ入ります。前回、国道377号をずっと行ったのですが、遍路道の方が、低い所を行くので楽そうと思って、今回行ってみたら、最後に一気に登りつめなくてはいけませんでした。
そうして、ようやく結願寺・88番大窪寺に到着です。 クリスマスイブとあって、寺内は人が少なく、ひっそりとしていました。が、大師堂前に30代ぐらいのご夫婦と、小っちゃな子供3人が、いらっしゃいました。私が行くと、長男くん(おそらく小学一年生くらい)が、「あ!お遍路さんだ!」と、声をかけてくれました。よちよち歩きの3男くんは、私のことが気になって、“南無大師遍照金剛”と、父親に言われて、唱えている時も、私の方へ来たり、戻されたり・・・。
「あと○回・・・。お経が届いてないよ」と父親に言われ、ぎこちなく、「南無大師遍照金剛」と唱え続ける子供たちの純粋な声を聞きながら、手を合わせた途端、涙があふれて来ました。子供たちの声が心にしみ入ります。結願を迎えた私に、最高のプレゼントをお大師様からいただきました。

88番大窪寺<88番大窪寺>
後ろの石柱には、「結願御礼」と書かれています。

 

翌朝、12月25日、クリスマス。私は、旅館八幡から1番に向って最後の歩きをしました。途中、今日から打ち始めの新人お遍路に何人もすれ違います。「お遍路に会ったら挨拶して声をかけ合うのよ」ってことを教えてあげるという役割が、10番から1番に向ってお礼まいりに歩く先輩遍路にはあると、私は思っています。だから、新人さんに声をかけて行くのですが、今回なぜか男性も女性も、無視お遍路ばっかり!苦しみを味わい室戸岬に辿りつくまでには、そういう彼らも、きっと変わっているとは思いますが・・・。
2番極楽寺が近づいて来る。1番霊山寺まであと2キロちょっと・・と、思った時、1400キロ苦楽を共にした金剛杖(お大師様)が、愛しくて愛しくてたまらなくなり、私は泣きながら、両手で金剛杖を抱きしめ、歩いていました。金剛杖を持たないお遍路も多くいます。今回すれ違った新人お遍路も、3人に2人が持っていませんでした。何もかも自分のことを知っていてくれる金剛杖と、遍路中、苦楽を共にできないのは残念なことです。
1歩進む度に、金剛杖と味わった数々の思い出が頭に浮かびます。ほとんどが、苦しいことばかりですが、四国の皆さんにいただいた暖かな言葉の数々もよみがえります。「お遍路すると、何かいいことあるの?」よく人に問われることですが、私には、よく判りません。でも、そういうご利益狙いで始めたお遍路も、やがて、そういうことは考えなくなっていたという自分に気づくことでしょう。そうやって自分を見つめること・・・。それが空海さんがのおっしゃる「悟りを開くこと」への一歩一歩であると、私は思うのです。
 
88番大窪寺山門下
<88番大窪寺山門下>
すぐ隣に、「竹屋敷」のお店。ここでお接待して下さる”くず湯”の美味なこと!
  1番霊山寺<
<1番霊山寺>
左へ行くと大師堂、後ろに本堂があります。

2008年12月26日(金)

高野山は、雪で一面、真っ白に被われていました。奥の院へお礼まいりに行った後、新たな金剛杖に同伴してもらい、09’1月、また つなぎ歩き遍路を始めるご挨拶に、奥の院へと、再度行き直しました。円になるように・・・と、一巡目の時、88番から1番まで歩いてしまった私は、ようやく切れ目がないことに気がつきました。つまり、エンドレス。グルグルグルグルと、四国つなぎ遍路を私は、これからもずっとくり返して行くことでしょう。まるで、輪廻転生のように。。。ちなみに、車遍路の方は、88番で終わりにしました。が、やはり09‘1月から、逆打ち車遍路を始めています。

高野山大門<高野山大門>
すごい雪で、滑らないよう歩くのに精一杯。他に写真を撮る余裕もありませんでした。
 
今回歩いた距離 63.3キロ
 
※「2泊3日つなぎ歩き遍路」は、すでに次の巡りを始めていますが、お行に専念したいので、一旦ここでお休みします。今後は、スペシャルなことのみ記して行きたいと思います。なお、遍路の詳しい情報については、KKベストセラーズのベスト新書から『四国八十八ヵ所つなぎ遍路』(7月8日発売)をご覧下さい。
4番大日寺<4番大日寺>
納経所の皆様と。
09’1/13
へんろころがし雪山になった11番藤井寺から12番焼山寺への”へんろころがし
まさしく、ころげ落ちそうでした。
09’1/14

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『四国八十八ヵ所つなぎ遍路』
(ベストセラーズ社)

2014年 1月15日発売!

 
四国八十八ヶ所  

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 つなぎ遍路』
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車遍路2回、歩き遍路3回、
5年がかりの遍路本がようやく出版されました!


四国八十八ヵ寺をつないで歩けば、
就業中のあなたも満願出来る!

四国遍路1400キロの道すべてが頭に入っている家田が心を込めて書いた遍路本です。
一人歩き遍路を8度くり返しているだけに、女性一人歩き遍路にも心配りした内容になっています。

お遍路とは、足を一歩踏み出してその小さな一歩を積み重ねていくこと。
それが、人生を前向きに生きることにつながるのです。

『結婚後の恋愛』

 

春と秋は、観光バス遍路で大にぎわいです。
運転手さんや、ツアコンの方が、お客様分の納経帳を何十冊と一度に出されるため、歩き遍路は長い時間、納経順番を待たないといけません。1分で80〜100m歩けるので、10分待つだけで1キロ近く遅れを取ります。時間がずれてしまうので、私はあえて観光バス遍路の少ない梅雨と夏と冬を選んで廻っています。だからいつも雨、雪、猛暑なのです。

お行について、もっと知りたい方はリヨン社の『女霊』をお読み下さい。
書店さんにない場合が多いですが、書店さんはしごをなさらないで、注文されたら、すぐにお手元に来ます。
また、近畿36不動霊場に興味のある方は
https://fudo36.net/
家田が各36霊場の解説を添えています。

 
コピーライト家田荘子