家田荘子 〜極道の妻たち.com〜
 
家田荘子って?(プロフィール)
最近の家田(新刊・講演情報・高野山駐在日など)
最近の本と電子書籍
講演会や法話など。
イッキに著作ご紹介
1985年〜著作集
1996年〜著作集
2000年〜著作集
2011年〜著作集
2泊3日歩きつなぎ遍路ショート
般若心経の訳と意味、読み方や本の紹介 家田荘子
家田荘子の電車・バス「コラボ歩き遍路」
トップページ
 
死んで貰います

2泊3日つなぎ歩き遍路ショート日記

 

2泊3日つなぎ歩き遍路ショート日記

善通寺だより 「へんじょう」
弘法大師空海の生きた場所・善通寺の情報誌「善通寺だより」に42号より、「遍路のススメ」を連載しています。
読みながら、歩き遍路をできます。

善通寺だより 「へんじょう」

バックナンバーは、善通寺にお問い合わせ下さい。
善通寺
0877-62-0111

くわしくはベストセラーズ社から出ています『四国八十八ヵ所つなぎ遍路』をお読み下さい。

家田荘子のホームページ   家田荘子のホームページ
撮影 國貞誠
29番札所 国分寺
  撮影 國貞誠
29番札所 国分寺

2巡目>>
3巡目以降>>

「つなぎ歩き四国遍路」を始めるためのご挨拶に、高野山奥の院へ。雨で暗い午後でしたが、お大師様の前に立つと、子供のように純粋で小さな自分になれました。さて、これからどんなお遍路になるのでしょうか・・・
高野山奥の院
<11/6 遍路を始めるために高野山奥の院へご挨拶>
88カ寺のお礼まいりも高野山で、しめくくる予定です。

 

就業者でもできる2泊3日歩きつなぎ遍路

 

1回目 05'11月16〜18日
4番大日寺にて
4番大日寺にて

JR板野駅に着いて、まず霊山・大麻比古神社へ。以前登拝させていただいた時は、歩き遍路など考えても、なかったけれど・・・。
ご挨拶をしてから1番霊山寺へ。
お寺の方に「今度は歩きなの?」と尋ねられる。そう。車では、夫と廻っているのだけども・・・。以前、何ヵ寺目かのお寺に着くとすぐ、ベンチに「フウ・・・」と倒れ込むように座り、靴を脱ぎ始めた歩き遍路男性を見かけた。その気持ちを私も歩いて知りたいと思った。
お寺を出ると、不安が訪れた。歩くのも歩かないのも、自分次第。でも一歩前に足を出さなければ、次のお寺には辿りつけない。たった一人で、これから1400キロの遍路を始めるのだ・・・。雨がどしゃ降りになった。私の行は雨が多い。これは歓迎の意味だろうか。電柱やガードレールに貼ってくれてある遍路シールを探すのに慣れてなくて、心細さで、心をつぶされそうになりながら歩く。
今回は12番焼山寺までこなす。

 

このページの上へ

2回目 05'12月21〜23日

大雪が降った。前回歩いた最終地点・神山温泉バス停まで、バスが行けないと前日情報で大あわて。タクシーをお願いしたり、準備が大変だったが、当日、少し雪が溶けたのでバスが通常通り運行してくれた。雪道で、ツルツルと滑りながら歩く。手がきれそうなくらい寒い。
トラックが泥水を容赦なく頭からかけて行く。雪道は延々と続いた。夕方、大量の雪が降って来た。

雪道は延々と続いた
<21号線 神山から13番大日寺へ向かう>
 

2日目、12月22日
とにかく寒い。手が震えて線香にライターを点けられない。朝、吹雪いていた。道路が凍結しているため、車が横に突然滑って迫ってくるので危い。靴が合わず、膝も足の指も痛いけど、寒さと雪で、痛いのか冷たいのか判らなくなる。へんろ道しるべを見失い、大雪の中、どこを歩いていいのか判らなくなった。
今回は20番鶴林寺で終わり。 13番大日寺から20番鶴林寺までこなすが、親指のがはがれる寸前。爪が浮いてしまった。2週間、激痛に苦しんだ。

17番井戸寺
17番井戸寺

 

このページの上へ

3回目 06'3月8日〜10日

今回は、20番鶴林寺遍路道を下りて行く所からスタート。を替えた。山用でなく、アスファルトの上ばかりを歩いても大丈夫なトレッキングシューズに替え、それ用の自分の足に合った中敷きで特にかかとを固定させるように「モンベル」大阪ギャレ店の人にアドバイスを受けた。快適。

暗い遍路道
20番鶴林寺からの遍路道。暗い遍路道だった。>
 
2日目、3月9日
23番薬王寺
23番薬王寺
国道は、何台もの「徳島」トラックが、暴走しているので、ほんとうに危い。トンネルは特に危ないため、私は金剛杖に螢光テープを貼っている。納経所では、車や観光遍路の人たちに混じって列を作り、納経の順番を待たなくてはいけない。歩きでも「お先にどうぞ」と言ってもらえない限り、優遇はない。車遍路5人組が、廻りの人々をはばからずに「納経」、「納経」と動き回っていて、金剛杖をおばちゃんに蹴とばされた。(金剛杖=お大師さんなのに・・・)
心痛かった。どんな時も、遍路中はこの金剛杖と一緒だ。まさに同行二人。初めのうちは、慣れなくて忘れそうになった。やがて、金剛杖を握ると、「お遍路」に身も心も変身出来るようになる。
今回は20番鶴林寺から23番薬王寺まで。
次回は、いよいよ室戸岬に向う。

 

このページの上へ

4回目 06'5月31日〜6月2日

23番薬王寺から室戸岬24番最御崎寺まで、77キロある。はじめての長距離だ。お大師様が修行をされた御厨人窟(みくろど)に行くのがとても楽しみで、ひたすら歩く。自販機が少なく、トイレもめったになく、女性が休めるような場所も少ない。この頃から私は、遍路中、昼食を取る必要がなくなってくる。朝食と夕食だけ。昼間は飲み物だけで、とにかく歩く。大昔の先輩遍路たちも、空腹だったはず。でも、不思議と空腹感が遍路中はない。自分との対話が、ひたすら続き、ひたすら歩く。歩くことと疲れで、いっぱいになる。5月31日、やっと室戸市に入る。孤独な行だ。お大師様もこういう気持ちで、ここを歩かれたのだろうか。

室戸市
<室戸市に入った!55号線。左は海>
 
2日目、6月1日
東洋大師像(明徳寺)
<東洋大師像(明徳寺)>
遠くから、この大師像が見えた時、感激で涙が出そうになった。もうすぐ室戸岬だ。長く苦しく、暑い孤独な行だった。ひらすら大師像をめざして歩いて来た。これは、歩き遍路でなければ得られない感動だ。疲れていて、足が痛くて、でも歩くしかなくて・・・。お大師様鎌倉時代のお遍路たちも、皆、皆、この行の中から何かを見つけ出して行ったのだ。私も同じ道を辿らせてもらっている。だから感激する。自転車遍路の30歳前後の男性を掴まえて、大師像前で写してもらう。「ここが24番?」と聞かれたので、「違いますよ、あと2キロ先」と、私が答えると、自転車遍路はさわやかに笑って、ペダルに足をかけた。室戸岬ってどんなトコだろうか・・・。あと少し・・・。今回は、27番神峰寺までこなす。

 

このページの上へ

5回目 06'6月28日〜30日
田んぼで働いていたおじさんに写してもらう。遍路というだけで、どなたにでも声をかけたり、頼みごとをしたりできてしまうから不思議だ。写真のような「四国のみちへんろ道しるべは、とても有難い。朝から日差しが強い。昨日は、警官パトカーで追いかけて来て、急いで下りると、私の方へ走って来たので、何かあったのかとドキドキしていたら、「サインを下さい!署長の分も!」。遍路ならではの嬉しく楽しいできごとだった。
6月29日大日寺から国分寺へ行く7キロの道中
<6月29日28番大日寺から29番国分寺へ行く7キロの道中。>
 
3日目、6月30日
32番禅師峰寺(ぜんじぶじ)にて
32番禅師峰寺(ぜんじぶじ)にて。ゴアテックスのジャケットに、ゴアテックスのキャップ>
ホテル日航ロイヤル高知に泊まれて、快適だった。ホテルに泊まれることはまずない。いつもは道添いにあるへんろ宿。泊まりたい地域に、そのへんろ宿さえ全くないこともよくある。その日、どこまで歩くかという計算は欠かせない。6月30日は、が降ったり止んだり、晴れたり・・・。もう!どちらかにして欲しい。遍路中、道端で雨風に強いゴアテックスのジャケットを脱いだり着たりが大変。浦戸大橋はすごい高い所にある橋。歩道は1人ギリギリ通れるだけの幅で、トラックが飛ばすので、強風が起こり、怖かった。
今回は34番種間寺まで。
猛暑の3日間だった。

 

このページの上へ

6回目 06'8月30日〜9月1日

大雨の3日間の1日目。写真の36番青龍寺についた時には止んでいた。夕立のような大雨に31日、9月1日も降られる。34番種間寺から道中、自転車おやじ遍路に、追い越され追い越しを繰り返していた。途中、平地で完全に追い越されるが、16:36に36番青龍寺についた時、まだおやじがいて「早い!10キロ2時間かからず来たね!」と再会を喜んでくれた。遍路は、こういう出逢いが嬉しい。でも、一人一人ペースが違うので、翌日、また会うことはおそらくない。まさしく一期一会。後ろに小さく写っている歩き遍路の青年は、すごい元気だった。ふくらはぎが子持ちししゃものように逞しい、笑顔のさわやかな男性だった。
徳島県を出たあたりから、出逢う遍路、皆、さわやかな表情をしている。やっぱり室戸岬での辛い道中を経験するからだろうか。
今回は、34番種間寺から37番岩本寺まで。
いよいよ足摺岬に近づいて来た!

36番青龍寺
36番青龍寺
 
へんろ道しるべ私たちはこうした へんろ道しるべに支えられ歩いているのです。
この方向に行きなさい」 という意味で電柱などに道しるべがあります。
 
へんろシールこれも、私たちを支えてくれるへんろシールです。
たまに、はがされていて、私たちは道に迷ってしまいます。

 

このページの上へ

7回目 06'11月7日〜9日
強風瀬戸大橋が不通になり、フェリーで高松へ。高速バスとタクシーでやっと窪川駅へ。毎日ハプニングがある。おかげで走った走った...。日暮れは早い。特に女性遍路は、安全のため、日の出ている間しか、歩けない。いつも夕方は、沈み行く夕陽との競争になる。写真は11月8日12時38分。やっと辿りついた四万十大橋。車では、橋のまん中で、下りられないので、歩き遍路は、ラッキーだ。四万十川の美しさを一人占めできる。あまりの美しさに涙してたら「家田さんですね?」と、車が横に止って、カップルに声をかけられた。急に現実に戻されたけれども、「頑張って下さい」と言われ、そのやさしさが、また嬉しい。
今日は37番岩本寺からついに38番金剛福寺へ。足摺岬の金剛福寺には着いたけれど、岬はついに見えなかった。お寺と少し離れているらしい。
四万十川
<四万十川と四万十大橋>
 
3日目、11月9日
38番金剛福寺
38番金剛福寺
やっと足摺岬38番金剛福寺
海辺なのに、お寺には、へんろ山道を登らないといけない。(ひぇ・・・。疲れた・・・)と、お寺に入っていったら、納経所で「歩き遍路?お疲れさま」と優しく声をかけてもらえた。こういうことはめったにないので、めちゃくちゃ嬉しかった。ここの行者堂でお参りしたら、縁行者様に感応して、動けなくなった。去り難くて、泣きながら、その場を離れる。室戸岬、足摺岬、2大長距離をこなし、頑張ることの大切さと、喜びが、少し判って来た。

 

このページの上へ

8回目 06'12月13日〜15日

今回は「金スマ」のディレクターが同行された。1日目は足摺岬の38番金剛福寺から18キロ、宿泊先の大岐マリンまで。電車とタクシーで前回の終点・足摺岬まで着いたのが、午後1時。日没は5時。歩く時間が少なすぎる。
金剛福寺の方々は、いつも心を和ませて下さる。元気を貰って出発。
39番延光寺へは、足摺岬から、同じ道を戻るという27号線コースを私は選んだ。写真は、行きも休憩した海がよく見えるベンチのある所。ここで前回、女性歩き遍路と前回一緒になった。女性1人歩き遍路は本当に珍しい。
今回は、38番金剛福寺から40番観自在寺まで。

以布利港近くの絶景
<以布利港近くの絶景>
 
2日目、12月14日朝、6時半
少し早く大岐マリンを出発したら、真暗!視力の弱い家田は、腰をかがめて地面を見つめながら歩いた。まもなくが。天気予報はお昼頃から雨と言っていたのに・・・。写真のバックはのはずだけど・・・。真暗!
真暗!
<「金スマ」のディレクターに撮ってもらう。>
 
2日目は大雨。道中ほとんどトイレがない。雨で、その辺に座って休憩できないので、ひたすら歩く。「金スマ」のディレクターは足がガクガクになり、3日目はタクシー。大雨の中、39番延光寺に着く。(12月14日)
3日目は1人なので、マイペースで1時間に6キロ歩けた。
寒く寒くて手がかじかんでしまって、記録をメモるのに苦労した。12月15日は道に迷って、40番観自在寺の近くにいるのに、なかなかお寺に辿りつけなかった。何度も人に教えてもらった。
39番延光寺
39番延光寺、大雨でカメラが濡れた>

 

このページの上へ

9回目 07'1月10日〜11日
国道は1キロずつこういうキロ表示があるので励みになる
<国道は1キロずつこういうキロ表示があるので励みになる>
宇和島のタクシー会社に電話したら、どこもかしこもいじわるで、乗ってみても、やっぱりいじわるく、本当にいやな思いをした。これまでどこでも遍路に対して、タクシーの運転手さんや、電話受け付けの人たちが、親切にしてくださっていたので、宇和島駅に来て、頭をドーンと殴られた気分だった。これも現実。受け入れて、気分を取り直し、しっかり歩き始める。
1月10日は、まったく人に会わない。歩くだけの25.5キロ向かい風が強い。時々、前に足が出ないくらい強風におそわれる。16時45分。工事が終わって帰り支度をしているおじさんに、やっと会え、写真を撮ってもらう。三好旅館のおかみさんは、本当に暖かい女性。おかげで、心も体も、ゆったり休ませることができた。
 
2日目、1月11日
歯長峠越え。淋しい山だった。昼間でも暗い。落ち葉だらけで、20センチ以上、落ち葉の中に足をズボズボと入れて歩く。ふもとで、逆打ちのおじさんへんろに合う。やっと人に会えてホッとする。「お疲れさま、気を付けて」と声をかけてもらえた。苦しさを知っている遍路の言葉は、心にしみて嬉しい。
今回は40番観自在寺から43番明石寺まで。
内子駅まで歩く。
歯長峠越え
<歯長峠>

 

このページの上へ

10回目 07'3月7日〜9日

の多い、遍路だった。今回は、「一個人」の編集さんとカメラマンとライターさんが車で同行された。途中、時々、国道を一緒に歩いてもらう。初日、43.5キロを7時間35分で歩けた。
1日目、3月7日
農祖峠は、雪だらけ。どこが道か、雪が積もっているので判らない。今、この山の中にいるのは、おそらく私一人。。。日暮れも近づき、沈み行く太陽と競争して、夢中で歩いた。

初日、43.5キロを7時間35分で歩きました
<農祖峠>
 
2日目、3月8日
44番大宝寺に向かいます。
<「一個人」スタッフの方に撮っていただいた。 >
夜明け。キーンとした寒さの中、おもご旅館を出て、44番大宝寺に向かう。
この日、その後、吹雪になった。
上下伸筋支帯とかいう筋肉を支える帯が腫れて、両足の甲に激痛が。「歩きすぎだよ」というサインらしい。帰ってから、東花園のテーピングの達人の先生の所へ行き、テーピング治療を受けるものの、以後、毎回、この伸筋支帯とうまくつきあって行かなくてはならなくなった。誰もが、マメがつぶれたり、膝を痛めたり、どこかしら痛みと闘い、体の弱い所とうまくつき合いながら遍路を続けるようだ。体1つが頼りで歩き続ける遍路経験によって、私は、自分の体がもっと愛しくなった。
 
45番岩尾寺の中の300段の階段。
45番岩屋寺
45番岩屋寺の中の300段の階段。
雪で足が滑るし、荷物が重たいから、後ろに引っぱられて、ひっくり返りそうになるし・・・。広大なお寺だけに冷たさが体にしみる。
 
3日目、3月9日
53番円明寺にて
53番円明寺にて
10回目の「2泊3日歩きつなぎ遍路」を終えた。
やっぱり終わると満面の笑みが・・・。さぁ!世俗に帰還して、明日からまた仕事を頑張らなくては・・・。お行は、帰還しなくてはいけない。生まれ変わるのだ。

 

このページの上へ

11回目 07'7月4日〜6日

1日目が大雨、3日目が超大雨。2日目のこの日だけ晴天。でも激暑だった。3日間雨、と天気予報で言っていたのに。
遍路10回目から、歩ける距離と、スピードが、さらに増えて来た。距離が増えると、それだけ足も大変。でも、また1つステップアップしたお行をさせられている気がする。お行は、進めば進むほど大変になる。 辛い時、いつも師匠である鹿児島・最福寺の池口恵観大僧正の言葉を思い出す。
「行は厳しいが、時間が来たら終わる。しかし、病気など苦しみと闘ってらっしゃる人々は、時間が来てもその苦しみからは解放されない。自分より、皆さんの方が、よっぽど辛いのだ。私たち行者は、この世の全ての人の苦しみを解ることはできないが、厳しい行を通じて、ほんの一部は共有させてもらうことができる」
辛いのは私だけじゃない。そうして私は、また歩き続ける。

55番南光坊にて
55番南光坊にて
雨ばかりで、写真を撮ることができず、今回、写真が あまりなかった。


いよいよ次は、涅槃の道場・香川県....。

 

                ねはん


 

このページの上へ

12回目 07'8月29日〜31日


       いしづち

やっと石鎚神社前に来た。中に入っておまいりしたいのだけども、どうしても時間が足りない。それで、やむなく神社前で般若心経を上げていたら、胸が熱くなった。(中に入りたい!)石鎚山へは、年に3回は必ず登拝させてもらっている私のご本尊の霊山
1日目、8月29日猛暑
この日、8時間34分で、42.6キロを歩いた。1日40キロを越えると、さすがにヘトヘトのクタクタになる。

石鎚神社前に来ました
<石鎚神社>
 
64番前神寺
64番前神寺8月29日
夏好きの家田でも、さすがに暑い。水分が欲しくて欲しくて・・・。自販機を見つけると飲んでいた。しかも、いつもは決して飲まないオレンジジュース系や甘い系を体が欲しがる。体の望む通りのドリンクをガブ飲みしていた。食欲は3日間全くなし。このあと、いきなり超大雨が。
 
3日目、8月31日
民宿青空を出ると、すぐ雨に。この写真は、宿で一緒だった歩き遍路男性に撮ってもらった。その人は、野宿もしているとのこと。大変な行だ・・・。
67番大興寺
67番大興寺
 
68番慈恵院
68番慈恵院
       69番観音寺
雨が止み猛暑に。1キロ歩いたら自販機でドリンク・・・をごほうびに、ひたすら歩く。写真は68番慈恵院69番観音寺。(同じ敷地内に2寺ある)
前日は約500m(三角寺)約900m(雲辺寺)山二つを駆けた。
今回は64番前神寺から74番甲山寺まで。
66番
の最高度・雲辺寺でもって、88ヵ寺の大難関を越えたことになる。
遍路の終わりが近づいて来た。少し淋しくなってくる。帰宅し、金剛杖を抱いた時、胸が熱くなった。金剛杖と苦楽をともにさせてもらうのもあと少し・・・。

 

このページの上へ

13回目 07'11月21日〜23日


11月の歩き遍路は2回経験している。けれども、今年の11月は、寒すぎた。11月なのに最高気温13℃なんて・・・。
なのに私は、フリースの手袋でなく、薄いUV手袋を持って来てしまった。おまけに携帯充電器も忘れて・・・。
8月から間が空いたので、少し遍路感覚が鈍ったのかなぁ・・・。今回は、完全に計画ミス。8月以降、霊山行シーズンで、霊山には幾山も登っていたけれど、遍路が観光シーズンで込むので、遠ざかっていた。それで、いつも通りに歩けないかもしれないと、ゆっくりめに5キロ1時間で、計算をしてたら、ゆうに時間が余ってしまった。2夜とも翌朝訪れる予定だったお寺へ行けてしまい、予約してあったホテルに戻ることになってしまった。

1日目、11月21日(水)寒い!
75番善通寺にやっとついた。とにかく広い。弘法大師生誕の地だ。大師堂のある境内(西院)の方が何となくおごそかで、かっこよかった。
78番郷照寺(ごうしょうじ)で、車ひとり遍路のおじさんに「シャッターを押してください」と、頼んだら「じゃ私も・・・」とデジカメで撮影を頼まれる。縦にして屋根まで入れろとか、横にして、建物を切るな、全体を入れてとか、口うるさく言われた上に、その都度、チェックが入り、何度もやり直し。(早くお参りしなきゃいけないのに・・・)と思う私の都合など全く考えてなくて、大変な目に会ってしまった。このおじさんとは、翌日も再会し、またシャッター押しをさせられる。
明日予定だった79番天皇寺へ行ってから、タクシーで坂出市の宿へ戻る。

75番善光寺 弘法大師生誕の地です
75番善光寺 弘法大師生誕の地です
 
81番白峰寺
81番白峰寺
2日目、11月22日(木)激寒

大変なミスをした。81番白峰寺82番根香寺(ねごろじ)は、山の縦走。山道は得意ってことを忘れて、遍路本を参考に一般的早さで計画を建てていたら、えらく時間が余ってしまった。結局、明朝予定の83番一宮寺にも行けてしまう。栗林(りつりん)駅から、電車で鬼無(きなし)駅の宿に戻る。隣室の音はもちろん、タバコの煙が入ってくるような部屋な上に汚くて、大そうじをした。

 
3日目、11月23日 (金)冷たい日
最高気温は12℃。寒い!!まだ11月なのに。
86番志度寺に着いても、まだ2時半。なぜ今回、一般速度で計画を立てたのだろう。たまたま87番までの車用地図が一枚あったので、心細いけれども87番長尾寺へ行くことにする。
85番八栗寺に向かう途中の坂道にある道しるべ
85番八栗寺に向かう途中の坂道にある道しるべ>
68番慈恵院
87番長尾寺
やはり87番へ来ると、感激。もうすぐ88番とドキドキする。
85番八栗寺(やぐりじ)はケーブルを使わず登ったが、84番屋島寺(やしまじ)の坂の方が、もっと急で長くて大変だった。
次回、私は、どんな気持ちで88番の山門をくぐるのだろうか。

 

このページの上へ

14回目 07'12月17日〜18日


旧遍路道
87番長尾寺から88番大窪寺
へ行く途中の旧遍路道。
家田は、ミラーの中。

今回は、87番長尾寺からのスタート。1日目に、いよいよ結願寺・大窪寺(おおくぼじ)に行く。その後、10番切幡寺(きりはたじ)まで下りて来て、2日目に1番霊山寺(りょうぜんじ)へ行く。
そうすると四国一周約1600キロを歩いたことになり、さらに88番から1番がつながることによって、円になる。つまり、お大師様とご縁ができることになる・・・などと、これは「家田勝手説」。
88番で終わって、後に1番まで歩いとけばよかったと後悔しないために、私は歩いておくことにした。でも、88番から1番への地図が1つしかない!だからどんなトコを歩くのか、よく判らない。とにかく早く88番に着いて、日没の17:00までに10番に行かなくては・・・。山の中で日没を迎えたら、真っ暗で大変なことになる。

1日目、12月17日(月)とても寒い晴れ

長尾寺からの1歩1歩が88番に近づいている。「2泊3日つなぎ歩き遍路」一周目の88番に向かう気持ちは、今回が最初で最後。この初々しい気持ちを大切にしようと思った。どんな気分で私は、88番に辿りつくのだろうか。厳寒の日、猛暑の日…大雨の日も、強風の向かい風の日も、吹雪の日もあった。でも、あと少しで結願する・・・そう思うと、涙がこぼれた。遠くに、88番を打ち終えて戻ってくる男性遍路を見つけた。金剛杖を振ったら、その人も大きく金剛杖を振って返してくれた。顔が判らないくらい遠くだけど、喜びの気持ちが伝わって来た。その人も、いろんな思いを背負って88番に向かったのだろうか。予定より、かなり早く88番大窪寺についた。

88番大窪寺
07’12月17日
ついに結願!
88番大窪寺

???こんなはずじゃなかった。私はきっと、ワーッと泣きながら山門をくぐると思っていたのに、この冷静さは何なのだろう・・・。経験してみないと判らない結願の迎え方だった。どうして感激がないのか・・・。
急な坂の先に234段の階段があることを忘れて、10番切幡寺へ行っても、同じだった。私はなぜ感動しないのか・・・。あれほど、この日を待ちわびていたというのに・・・。

2日目、12月18日(火)冷える!

昨夜泊まった旅館のヒーターが、ちっとも暖かい風を送ってくれなくて、体が冷えきっている上に寒い日で、顔が痛かった。12:04。ついに1番霊山寺に着いた!
ご本尊様にお参りをし、大師堂の前に来て、苦楽を1600キロ共にした金剛杖を両手で掲げた瞬間、涙がドドッと洪水のようにあふれてきた。涙が、どうしても止まらない。私は、この一番のお大師様に感応し、ご縁を持たせていただけた。そして、今、手中に抱き締める金剛杖こそ、お大師様であったことを実感させられた。やっぱり、同行二人だったのだ。金剛杖が愛しくて愛しくて、私は子供のように泣きながら、いつまでも抱きしめていた。
落ちついた頃、5回以上廻る人が持てる緑の納札を、車遍路のおやじが自慢気に、私の前をわざわざ通って、ぶつかってから、これみよがしに納札箱へ入れて行った。いつか車でなく歩いて、「金剛杖と同行二人」という気持ちを彼にも味わってもらいたいと思った。

1番霊山寺
88番から10番そして1番霊山寺にお礼まいり

 

このページの上へ

お礼まいり 12月24日(日)晴れ一時みぞれ


ケーブルの高野山駅から奥の院入口まで約8.3キロ。3キロ地点の大門までは、人に全く逢わなかった。お礼まいりの場所は、遍路により違う。10番だったり10番から1番まで逆打ちだったり・・・。私は高野山から始まり、高野山で終わる。歩き出すと、つい調子が出てしまい、気がついたら、1キロを9分半くらいのスピードで歩いていた。途中、冷たい氷まじりの雨が顔を叩く。クリスマスで連休で寒いから、人は少なかった。

高野山奥の院へお礼まいり
高野山奥の院へお礼まいり

奥の院の大師御廟へ行き、遍路の報告をすると、ホッとして気がゆるみ、「おだいしさま〜」と、子供のようにベソをかいていた。
足の爪がはがれてプカプカになった。膝を壊した。筋肉を支える上下伸筋支帯が毎回、悲鳴をあげてはれるようになった。遍路へ行く度、ゲソッと痩せた。足の甲の形が変形した・・・など、体のいろいろなところを犠牲にした。でも私は、歩き1巡目を無事終えることができた。大雨の日も、吹雪の日も、強風の向かい風の日も、猛暑の日も、厳寒の日も・・・自然に受け入れてもらい、歩かせてもらった。こうして貴重な経験という宝物を手にした。

75番善光寺 弘法大師生誕の地です
高野山 奥の院
満願で満顔の笑顔。

歩きが、もちろんいいけれども、車でも、バスでも、自転車でもいい。1人でも多くの人に、遍路を経験していただきたい。だから私は、歩き2巡目を08年01月から始めることにした。今度は、「己の行」のために「2泊3日つなぎ歩き遍路」をするつもりでいる。

遍路日記は、まだまだ続きます。
なお、今年もう一周、車でも遍路をし、来年4月に出版の予定です。

 

 

『四国八十八ヵ所つなぎ遍路』
(ベストセラーズ社)

2014年 1月15日発売!

 
四国八十八ヶ所  

『四国八十八ヵ所つなぎ遍路』
ベストセラーズ社

 

『四国八十八ヵ所つなぎ遍路』
(KKベストセラーズ)

 
『四国八十八ヵ所つなぎ遍路』  

『四国八十八ヵ所
 つなぎ遍路』
KKベストセラーズ

 

車遍路2回、歩き遍路3回、
5年がかりの遍路本がようやく出版されました!


四国八十八ヵ寺をつないで歩けば、
就業中のあなたも満願出来る!

四国遍路1400キロの道すべてが頭に入っている家田が心を込めて書いた遍路本です。
一人歩き遍路を8度くり返しているだけに、女性一人歩き遍路にも心配りした内容になっています。

お遍路とは、足を一歩踏み出してその小さな一歩を積み重ねていくこと。
それが、人生を前向きに生きることにつながるのです。

 

『結婚後の恋愛』

 

春と秋は、観光バス遍路で大にぎわいです。
運転手さんや、ツアコンの方が、お客様分の納経帳を何十冊と一度に出されるため、歩き遍路は長い時間、納経順番を待たないといけません。1分で80〜100m歩けるので、10分待つだけで1キロ近く遅れを取ります。時間がずれてしまうので、私はあえて観光バス遍路の少ない梅雨と夏と冬を選んで廻っています。だからいつも雨、雪、猛暑なのです。
お行について、もっと知りたい方はリヨン社の『女霊』をお読み下さい。
書店さんにない場合が多いですが、書店さんはしごをなさらないで、注文されたら、すぐにお手元に来ます。
また、近畿36不動霊場に興味のある方は
https://fudo36.net/
家田が各36霊場の解説を添えています。

 
コピーライト家田荘子